お茶ノ水橋から俎橋を渡り九段坂へ
・お茶ノ水橋
JR御茶ノ水駅(御茶ノ水口)そばには、神田川に「お茶ノ水橋」が架かり千代田区神田駿河台三丁目と文京区湯島一丁目を結んでいます。また周辺には大学や専門学校等さらに医療機関が多く立ち並び、大勢の人たちが行き交う橋でもあります。かつて、江戸時代の初めころ第二代将軍徳川秀忠がこの近くにあったお寺の湧水で淹れたお茶を大そう気に入り、この一帯は「お茶の水」と呼ばれるようになったと言われています。また、当時は深い渓谷で「お茶の水谷」といわれ後に橋名の由来となっていますが、とにかく峡谷でかなり困難な場所であったことから、橋の建設は明治に入っておこなわれています。残念ながら、初代の橋は関東大震災により損害を受け焼失してしまいましたが、あらためて1931(昭和6)年に鋼橋として改築され現在の「お茶ノ水橋」に続いています。
・明大通りから神田駿河台下
お茶の水橋から明大通りを南に下っていくと明治大学120周年記念館リバティータワーがそびえ立ち、手前甲賀通りの坂上に老舗「山の上ホテル」があります。ホテルとしては1954(昭和29)年に開業しています。名前の由来ですが、第二次世界大戦終結後、連合国軍最高司令官司令部(GHQ)に接収されアメリカ陸軍婦人部隊の宿泊所になっていた際に“Hill Top”の愛称で呼ばれていたことから、接収解除後「丘の上」を敢えて「山の上」と意訳してホテル名にしたと言われています。文人の定宿としてのイメージが強かったホテルですが、老朽化にともない2024年2月に休館となる予定が発表されています。さらに明大通りを下り神田駿河台下の交差点まで行かず、手前で右に曲がり富士見坂に入ります。わずかな近道ですが、目の前の大通りが靖国通りです。
・神田神保町から九段坂
靖国通りを右に曲がりここから神田神保町にはいり、白山通りと交差する神保町交差点に向かいます。最大規模の書店が立ち並びさらに古書店街として有名な神保町ですが、かつては武家屋敷が立ち並ぶ地域でした。町名は戦国大名越中神保氏の一族である旗本神保長治の屋敷があったことに由来します。さらに靖国通りを進み専大前交差点をわたると間もなくして首都高速5号池袋線高架下に出ます。高架下には日本橋川が流れ九段坂に向かう俎橋(まないたばし)が架かっています。俎橋は、江戸時代初期の架橋とされていますが詳細は不明です。日本橋川の最も上流に架かる橋であったとされ、俎河岸が存在し物資の荷揚げが行われていたとも言われています。名前の由来としては、2枚のまないたを渡したような板橋であった説と飯田橋2丁目あたりにあった台所町との関連で名付けられた説があります。1983(昭和58)年に鋼桁橋に架け直され現在に至っています。
さて九段坂に到着しました。古くは飯田町坂・飯田坂と呼ばれていたようですが、名前の由来として江戸時代幕府の御用屋敷(九段屋敷)が九つの段に沿って建っていたことから、または急坂であったため九つの石段が築かれていたことからとも言われています。ちなみに、葛飾北斎筆、江戸名所図「くだんうしがふち」には九段坂の急坂が、見事な程ダイナミックに造形表現されています。
・靖国神社
靖国神社の起源は、1869(明治2)年に建てられた「招魂社」に遡ります。明治維新前後からまたそれ以降に国家のために一命を捧げられた人々の霊を祭り、その事績を後世に伝えるためこの地に創建されました。東京招魂社(旧称)は1879(明治12)年に「靖国神社」として改称されています。本日は新嘗祭がおこなわれ拝殿の幕が常日の白色から紫色に掛け替えられ、中央広場ではつきたてのお餅がふるまわれていました。
・おわりに
お茶の水橋から靖国神社まで、凡そ2キロのぶら散歩です。爽やかな秋晴れの中、帰りは皇居外苑田安門から北の丸公園をとおり竹橋へ・・・本日はここまで。