梅雨入前の皐月晴れ、上野のお山にぶら散歩
・上野駅しのばず口から
上野駅から高架下のしのばず口に出ると都心の大動脈である中央通りに出ます。港区新橋から銀座・神田・秋葉原など終点上野の各商業地域をとおるメインストリートになっています。通りの向かいには、平日・休日を問わずたくさんの人々で賑わう上野アメ横商店街があり、御徒町まで続く巨大横丁の入口「アメ横」のアーチが見えます。また、横断歩道を右側に渡った向かいには商業施設「UENO3153」があり、屋上に上がると目の前には幕末から明治初期の日本の政治家であり軍人でもあった西郷隆盛さんの銅像とご対面です。ですが、何やら西郷さんと愛犬は別人・別犬のようで、西郷さんの妻糸子さんが除幕式の際「うちの人ではない!」と言ってしまったという逸話が残っているようです。「UENO3153」と京成上野駅の間にある階段を上がり上野公園南側の入口となる袴腰広場から噴水広場に向かいます。
・上野公園さくら通り
さくら通りとは、袴腰広場から噴水広場に向かう上野公園のメインストリートで、噴水広場の先方に見えるT地の突き当りが東京国立博物館になります。例年4月頃の大勢の人で賑わうお花見風景がTVやSNSでたびたび紹介される有名なスポットです。途中、さくら通り沿いにあるトーテムポールの横道を左に曲がり上野東照宮の入口へと向かいます。
・上野東照宮
東照宮とは、徳川家康公を神としてお祀りする神社として日光・久能山のほか全国に数多く建立されています。四大東照宮のひとつである上野東照宮は、「東照社」として始まり1627(寛永四)年に創建しています。のちに1646(正保三)年、朝廷より正式に官号が授けられ「東照宮」となりました。ただし現存する金色殿や透塀、唐門などは、1651(慶安四)年に徳川家光公によって造営替えをしています。ひとつに、江戸の人々が遠く日光までお参りに行くことが出来ないため、日光東照宮に準じた金色殿を建立したと言われています。特に「出世」「勝利」「健康」にご利益があるパワースポットです。なかでも上野東照宮は、幕末の上野戦争、関東大震災、第二次世界大戦の東京大空襲を乗り越えた強運な神社として知られています。
余談ですが、当時阿助さんのお祖父さんは上野で炭問屋を営む商人でした。関東大震災の際、お店が三日三晩燃えていたと話していたそうです。ですが、ピンチをチャンスにしたお祖父さんは新たなる商売へとチャレンジしています。「やればできる!」
さて、話を戻します。家光公の造営替えがあったことで、200基以上ある石灯篭はほとんどが1651(慶安四)年に諸大名より奉納されています。そこで、タイムリーな人物のお孫さんの灯篭を見つけました。徳川四天王のひとり「どうする家康」で中心人物でもある平八郎こと、本多忠勝氏の子孫本多忠義から奉納された石灯篭です。神門から参道左側に・・・慶安四年辛卯四月十七日と明記されています。平八郎は、1610(慶長十五)年家康公より6年前の63歳でお亡くなりになっています。その息子長男本多忠政は1631(寛永八)年57歳で、さらに忠政の三男忠義は1676(延宝四)年75歳で死去しています。奉納した時期の忠義は25、6歳ということで家光公の家臣として平八郎さん同様に徳川を支える武将であったのでは・・・・。他にも見えないものが見えてきます。お楽しみに。
おわりに
さくら通りを袴腰広場に戻る途中、明治8年創業、渋い風情の韻松亭がございます。ランチとディナーの合間、15時から17時まで喫茶去甘味処が、わずか2時間のみ営業しています。TVで紹介されたのもあり待ち時間覚悟でいかがでしょうか。不忍池の蓮開花まであと1ヶ月。本日はここまで。