秋晴れに、秋葉原からちょいと日本橋蛎殻町
・秋葉原駅から神田岩本町
JR秋葉原駅昭和通り口から、高架下の横断歩道を渡り右にむかうと神田川に架かる和泉橋に着ます。まもなく都営地下鉄の岩本町駅が見えてきます。この神田岩本町は、柳原通りを中心に既製服問屋の発祥地として商いが盛んにおこなわれていた地域で、江戸時代後期には古着などを取り扱う露天商があったようです。さらに直進し昭和通りと交差する靖国通りを渡り水天宮通りに入ります。
・千代田区岩本町3丁目から中央区日本橋人形町
水天宮通りは、一通の車道で3車線のほか左右に駐車スペース(有料)がある商業地域に適用した大きな通りです。岩本町3丁目から2丁目に進むと、かつてこの付近には桜が池と呼ばれる上野の不忍池よりはるかに大きい池がありました。ある出来事を機にお玉が池と呼称されるようになりましたが、江戸期に神田山(駿河台)などの土地開発により埋められています。また、この地域は江戸の学問の中心で東京大学医学部の発祥地であった場所とされ、お玉が池通りから次のブロックに進むと天然痘の予防や治療を目的に設置されたお玉が池種痘所の標柱があり、解説版とともに設置されています。さて、中央区の日本橋小伝馬町にはいると江戸伝馬町処刑跡の石碑が大安楽寺にあります。江戸時代に約8639㎡(2618坪)の広大な敷地には、200年以上続いた最大の牢獄があったようです。市ヶ谷に移転後、荒れ果てた跡地に創建されたのが大安楽寺です。東京経済大学(旧大倉商業学校)創設者大倉喜八郎と東京大学の安田講堂などを寄贈した安田善次郎の寄進を受けて創建されました。寺名は二人の頭文字からつけられていますが当時の建物は関東大震災で焼失し、1929(昭和4)年に再建され現在に至っています。さらに、日本橋堀留町に進みビルの間から細い通りに入ると真向かいに椙森神社がありました。解説版によると宝くじの起源といわれる神社のようで境内には富塚が祀られています。ちなみに、中央区日本橋小伝馬町に入ると日本橋人形町までが人形町通りになっています。
・日本橋蛎殻町水天宮前
蛎殻町とは、かつてこの地域に漁師の小網の干し場があり、牡蠣殻の堆積した海浜であったらしいと言われていますが詳細は定かではないようです。通り名は再び水天宮通りとなり、水天宮前交差点の一角に日本橋水天宮はあります。福岡県久留米市にある久留米水天宮の分社になり、安産祈願で有名な神社ですが、古来より水の神として農業・漁業・船舶業者の信仰が篤く、水難除けのご利益があると言われています。元は、港区三田赤羽の久留米(有馬)藩邸内にありましたが、明治5年に現在の場所に遷っています。境内には日本橋七福神の一社である辨財天が祀られており、鎮座する寳生辨財天も同様に水の神様であり芸能の上達・音楽の神様としてもご利益があると言われています。
・おわりに
秋葉原から水天宮までは凡そ2キロのぶら散歩、甘酒横丁や人形町界隈はあちゃらこちゃらのグルメスポットです。交差点水天宮前の新大橋通りから足を延ばし日本橋小網町に行くも好かと・・・本日はここまで。