神田須田町をぶら散歩

・蔵前橋通り清水坂下から万世橋

 本郷三丁目から茶水(お茶の水)方面に中山道を下り万世橋へと思いつつ、ここは蔵前橋通りに入り新妻恋坂を下り清水坂下交差点にでました。左に曲がると湯島天神へ、右に曲がれば神田明神へ向かうパワー頂き道草スポットです。このまま坂を下り中央通りから万世橋へ進む手もありますがここは吉方、右に曲がり裏道から神田明神に寄り道です。坂からまもなく左側の細い階段を上ると先方に千代田区立宮本公園があります。小規模な公園ですが比較的きれいに整備され、さらに奥へ進むとハート型のおみくじと絵馬が見えてきます。本日は境内脇から失礼させていただき仕事の運気を願い本殿にて参拝しました。引き続き、男坂を下り昌平橋へと進みます。ぶらり阿助 【東京】神田明神

 昌平橋では、下流に見える万世橋まで神田川を渡り高架橋沿いを通ります。赤煉瓦造りのアーチが先方まで連なる別空間の景色です。この通りは靖国通りと交差する旧中山道で、道沿いには御成道と筋違御門跡の解説版が設置されています。かつて、神田須田町には「やっちゃ場」と呼ばれた神田青果市場があり江戸から昭和にかけて270年間存続していた市場でした。その後、1928(昭和3)年千代田区外神田(秋葉原)へと移転します。また、1936(昭和11)年から2006(平成18)年にかけて鉄道の歴史や文化を発信してきた交通博物館がありましたが、さいたま市の鉄道博物館に収蔵品展示事業のみを後継しています。跡地には20階建てのJR神田万世橋ビルが建っています。ぶらり、万世橋に到着です。

・橋があちゃこちゃ万世橋

 現在の万世橋は、1930(昭和5)年3月に完成しています。それまでのヒストリーは昌平橋やかつての筋違橋とあちゃこちゃと移動や取り壊しなど、現在の神田川にかかる昌平橋から万世橋の間で右往左往と変動していたようです。そこで、場所は異なりますが初代の万世橋は筋違御門の石材を利用しアーチ2連造りの橋として架けられました。当時の東京府知事により萬世(よろずよ)橋と命名され、さらに形状からめがね橋とも呼ばれていましたが音読みの「まんせい」が一般化し万世橋となり今に至っています。ちなみに、万世橋から名前をとった「肉の万世」は、1949(昭和24)年9月9日に「肉の萬世」で創業しています。https://www.niku-mansei.com  もともと、創業者は電気製品商を営んでいましたが食肉業へと転業したチャレンジャーです。愛嬌たっぷり牛のロゴマークは、グラフィックデザイナー福田繁雄氏が制作してます。

・旧万世橋駅からマーチエキュート神田万世橋

 かつて、神田と茶水(お茶の水)間には万世橋駅がありました。1912(明治45)年に完成し、1943(昭和18)年に休止した駅です。古くから須田町には、主要街道のほか神田川の船運もある交通の要衝であり、青果市場はじめ問屋街等が連なる活気ある地域でした。明治後期には路面電車が開通し万世橋駅も開業する東京有数の繁華街となります。その後「やっちゃ場」などの移転もあり、現在ではビジネス街として様変わりしています。そんな旧万世駅の遺構を残しながら、2013年9月万世橋高架橋に『まちとのコトづくり』をテーマに、ショップやカフェが並ぶ商業施設として「マーチエキュート」がオープンしました。オープンデッキでは神田川を眺めながらのコーヒータイムやさらに旧万世橋駅の二つの階段からは旧ホームの一部にフリースペースの展望テラスとカフェが設置され、中央線が両脇を交わう空間になっています。プラットホームへ上がる階段や壁画などは開業当時の姿を略留めています。

・おわりに

 万世橋から秋葉原方面に進み中央通りと蔵前橋通りが交わう交差点から本郷方面すぐ、湯島本郷に住んでいた香取家が、昭和40年台初頭頃より伝承してきた生姜豚を味わえるお店があります。https://katori-akiba.com 一度ご賞味あれ本当に美味です。ちなみに、「孤独のグルメ」は確認済でしょうか( ̄ー ̄) かなりの満腹感にうっぷ・うっぷ!本日はここまで。

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asuke

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