お日和よろしく、文京区本郷春日通りをぶら散歩
・医療、出版エリアですか?
営団メトロ丸の内線「本郷三丁目」の改札口から右側(出口2)に出ると、正面に本郷通りが見えてきます。右方面が神田橋(千代田区日本橋川)、左方面が飛鳥山(北区王子)へ向かう幹線道路です。名前の通り文京区の本郷を通ることからこの名がつけらました。さらに、歩道を左に曲がると間もなく、本郷三丁目の交差点に出ます。ここは本郷通りと春日通りの車や人で混み合うジャンクションです。その春日通りの名は、徳川家光の乳母春日局が拝領したその土地に由来します。現に春日通り沿い文京区湯島4丁目には、春日局が眠る麟祥院があります。その他、近辺には商業ビルが立ち並び、特に医療関係や出版会社の社名が多くあり、本郷三丁目の交差点からさらに飛鳥山方面に向かうと東京大学の赤門が見えます。
・歯医者さん?そんな歴史があったとは!
本郷三丁目の交差点の角には、1階のシャッターに大きく「かねやす」と書かれたビルが建っています。複合ビルで2階から上は医療関係の店舗が営業していましたが、かねやすは休業中で5,6年前まで洋品店として営業していました。
ところが何と、「かねやす」の歴史は江戸時代まで遡ります。祖先の兼康祐悦は、もともと京都で口中医(歯科医)をしていた方で、縁あって江戸でお暮しになっていたようです。その後、「乳香散」という歯磨き粉を製造しかなりの評判となり、現在の本郷で小間物屋を開店し売り出しました。当時の繁盛振りは、双六に描かれるほどの賑わいがあったようです。
さらに火事の多い江戸では、当時あった大火事を機に延焼防止策として店舗や住宅など土蔵造りや塗屋を奨励していました。そこで、街道添いに見えるかねやすの見事な土蔵から「本郷もかねやすまでは江戸の内」といった古川柳が生まれるほどのお店だったのです。実際は、区画整理などで当時とは異なる場所のようですが、なんと300年以上前からあるお店の屋号が今も尚、大通りにその風格を残しています。。
・交差点交番裏の通りでご対面!
「かねやす」角から真向いの交番に向かって横断歩道を渡ると、「本郷薬師」の額束が付いた鳥居があり、前方には小さなお堂が見えてきました。さらに矢標の方向であるホテル脇の路地を入るとなんと!「十一面観世音菩薩」様がいらっしゃいました。かつてこの地にあった真光寺の境内で祀られていましたが、お寺は太平洋戦争で被災され世田谷区給田へ移転しました。今は、菩薩さまが地域を見守っているのでは・・・。
・櫻木神社と見送稲荷神社
薬師堂の通りにもどり奥へ進むと神社が見えてきます。できれば表鳥居からの参拝をと左に入る路地へ行くと春日通りに戻りました。ここは、本郷三丁目の交差点からまもなく春日通り沿いにある合格祈願のサクラサク櫻木神社です。文明年間、太田道灌が江戸築城の折に京都北野天満宮より城内に勧請し創建されたと伝えられています。その後、二代将軍徳川秀忠の時代に、湯島の高台(現在の東京医科歯科大学付近)に遷座しました。この地では、武士が乗馬訓練をする馬場があり春には櫻、秋には楓と風光明媚な場所だったようです。さらに五代将軍徳川綱吉の時代には、昌平坂学問所設立にあたり本郷の富元山真光寺境内に再度遷座しました。当時は北野天神、本郷天神とも呼ばれていましたが、明治以降の神仏分離から櫻木天神と改称されました。また、社殿の脇から奥の裏手に進むと見送稲荷神社があります。当社より北東へと江戸を追放された者が放たれた見返り坂とか見送り坂と呼ばれた坂に面し鎮座していたお稲荷様とか・・・。そういえば、「本郷もかねやすまでは江戸の内」とは?そんな理由もあったのでしょうか。
・春日通りと啄木
櫻木神社から本郷台中学校入口の横断歩道を渡り春日通りを下っていくと本郷小学校前の交差点に床屋さん(理容アライ)のサインポールが見えてきます。ここには明治の歌人・詩人であった石川啄木の旧居跡です。前回、ぶら散歩した湯島天神の石垣わきに歌碑がありました。「二晩おきに 夜の一時頃に切通坂を上がりしもー 勤めなればかな」と夜遅く湯島天神の石垣を頼りに暗い切通坂を自宅のある本郷三丁目付近まで歩いて帰った切実な思いが伝わってきます。当時は「喜之床」という理髪店でこの2階の2間を借り、久しぶりに家族そろって生活を始めた場所だようですが・・・。現在は、春日通り沿い区画整理などのため、旧家は明治村(愛知県犬山市)に移築されています。当時の面影はレトロなサインポールに偲ばれます。
・春日通りをさらに真砂坂上へ
さらに、春日通りを歩いていくと真砂坂上の標識が見えます。この交差点から左の通りに曲がると、それは素晴らしいレトロな弓町本郷教会がありました。プロテスタントの合同教会として1886年以来、本郷の地で伝道活動を行っているようです。さらにその先には大きなクスノキが高く聳え立っていました。樹齢は推定600年!5,6月にはクリーム色のお花が咲くとのこと楽しみです。この地域はかつて「御弓町」と称される武家屋敷の町で、江戸城の鬼門の方角に当たるので弓場を設けて厄除けをした由来があります。この大きなクスノキのある場所には楠木正成の後裔、甲斐庄喜右衛門の屋敷があったとか・・・だから「クスノキ」なの?と思いながらぶら散歩です。
・レンガ塀があちこちに
大樹クスノキの通りには、敷地の境界線などにレンガ塀があちこちと残っていました。
・外記坂見つけた!
本郷1丁目27番地のレンガ塀を右に曲がり突きあたりを右に、さらに最初の路地を左に曲がると外記坂を見つけました。真砂坂上の北側にゲキサカありと記録があり、ここはもともと内藤外記という旗本が住んでいた大きな屋敷がありました。外記坂は江戸時代からあった古い坂でした。
・白山通りから水道橋へ
外記坂を下りて道なりに下ると東京ドームシティアトラクションズが目前です。阿助さんが幼少の頃は後楽園遊園地と渋い名前で呼ばれてました。手前の大通りは白山通りで左に行くと水道橋です。本日のぶら散歩はここでおしまい、おしまい。