大晦日、神田外堀通り界隈をぶら散歩

・聖橋から淡路坂と幽霊坂へ

 茶水(お茶の水)の聖橋から今年1年の散歩締め、まずは神田川の中央線と総武線が走る千代田区側の淡路坂からぶらりです。高層ビルの植栽付近には煉瓦つくりの歴史案内板がありました。当地は、江戸後期の文人・狂歌師であった太田南畝の終焉の地であったようで、晩年の号を蜀山人と名乗っていたことで、解説では太田蜀山人で記されています。また三菱の第二代社長となった岩崎彌之助が三菱の本社を設立した場所でもあったことが記されています。さらに外堀通りに向かう淡路坂を下ると途中で、ビルの間に蔵の背面が見えました。背が高く細長の真新しいお蔵です。そこでも煉瓦つくりの歴史案内板が設置されています。解説によると、神田淡路町にあった松山堂が所蔵していたお蔵で、全国古本屋見立て番付けに載るほどの有名な書籍商であったようです。現況は、当時の既存部材を再利用したうえで復元したお蔵とのことでした。煉瓦には丸にカタカタの「サ」の刻印を発見!製造元が断定できる貴重な資料をビルの公開空地で見ることが出来ました。さらに蔵の正面から階段を下るとそこは幽霊坂です。まもなくして外堀通りにぶつかりました。

・外堀通りを淡路町から鎌倉橋へ

 外堀通りを右に下り歩いていくと「ワテラスタワーレジデンス」と呼ばれる商住一帯型高層マンションがありました。大規模な敷地に驚きです。さらに外堀通りを進むと靖国通りと交差する淡路町に出ます。この淡路町近辺には有名処の蕎麦屋さんがあり、神田須田町1丁目の名店「まつや本店」と淡路町2丁目の「かんだやぶそば」です。すごい行列ですが、大晦日恒例の風景でした。お蕎麦は諦めてさらに進むと神田司町にでました。かつてこの界隈は商人や職人が多く住む町として発展していきます。「司」は縁起の良い文字であることから、神田神社の宮司さんによって司町(つかさまち)と名付けられました。現在も引き継げられているのは、神田司町2丁目だけとなります。この先外堀通りは鎌倉橋の交差点で左に曲がり神田鎌倉町に入ります。町名の由来ですが、通り沿いにある解説標によると江戸城築城にあたり相模国(現在の神奈川県)の鎌倉から来た材木商が資材等の部材を取り仕切っていたことから「鎌倉河岸」と呼ばれ、それに隣接する町ということで名が付いたと記されていました。

・外堀通りを千代田区から中央区へ

竜閑橋交差点を抜けて日本橋川に架かる常盤橋に来ました。竜閑橋は、かつて流れていた竜閑川に架かっていた橋で千代田区と中央区の境にありました。また、常盤橋は常盤橋公園側の千代田区と外堀通り側の中央区を結ぶ橋になります。中央区側には日本銀行や貨幣博物館があり東京メトロの三越前駅が最寄りの駅です。その他、常盤橋には防災船着場が設置されていました。さらに、外堀通りを八重洲方面に向かうと一石橋に到着しました。ここには「一石橋迷子しらせ石標」があり、江戸時代も日本橋がかなりの盛り場であったことが垣間見られます。湯島天神にある「奇縁氷人石」と同様、迷子や尋ね人を告知し張り紙をする石碑です。

・おわりに

 再び、千代田区丸の内東京駅地下の食品売り場へと、大晦日のならではの驚きの賑わいです。まもなく除夜の鐘、皆様良いお年をお迎えください。本日はここまで。

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asuke

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